この前から勝手に始めた”富嶽三十六景”シリーズです。
※Yahoo画像より
今回は”登戸浦”です。
潮干狩り的なことをしてる姿なんでしょうかね、
子供がはしゃいでたりもしますね。
東京湾はもともと干潟がたくさんあるとても豊かな海だったそうですね。
ところでこの”登戸”、
川崎市民のオレ的には”のぼりと”と読みたいとこですが、
コレは”のぶと”と読むんだそうで、
現在の千葉市にある”登渡神社”(とわたりじんじゃ)の鳥居らしいです。
それがコレ↓
全然面影がないですね。
鳥居の位置が当時と同じとは当然思えないし、
北斎の絵の通りだったとも限らないですね。
ストロークがなかったんで鳥居が近いですが、方向はだいたい合ってたようです。
実はココから海側には千葉港ができていて埋立地なんですねぇ。
この鳥居も平成になって造られたものらしいです。
このあたりの沿岸は今や工場ばっかりで、
東京湾もひところよりは良くなったとはいえ、未だヘドロの海。
北斎が描いた風景はまるでおとぎ話のようですね。
そしてもうひとつ、”上総の海路”です。
※Yahoo画像より
弁才船(べざいせん)は当時、国内の海運を担っていた船だそうで、
左奥に小さく見える船らしきもそうなんでしょうかね。
右の陸地は某HPによると富津岬のようとのことですが、
富津岬がココまで見えるには大貫あたりから見ても方角が合わない。
水平線が湾曲してるから富津岬に見えるのかも知れませんが、
絵に奥行きを出すための北斎のワザなんじゃないですかね?
浦賀水道のどこからしいですが、
オレにできる手段で東京湾フェリーから撮ってみました。
それが…、
東京湾フェリーは、浜金谷~久里浜間を結ぶほぼ直線の航路。
この航路から富士を望むと西北西を向くことになるんですが、
当然その方向にあるのは三浦半島なんです。
弁才船の代わりは、乗ってるフェリーとテレコで航行してる”しらはま丸”です。
本当なら真ん中あたりに小さく富士山が見えるはずだったのですが…、
今日は曇っててガスってて…、まったく見えませんでしたね…。
江戸時代に”PM2.5”なんてなかったですもんね。